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絶対にあきらめない

大事故にあった小学一年生の坊や、
その後もずっと意識不明のまま、体温調節がうまくいかず高熱が続いたり、
黄色ブドウ球菌による肺炎になったりしながらも彼は頑張り続けました。
そんな苦しい先週末、御両親、家族の願いが通じたのでしょう。
「グーしてごらん?」「チョキしてごらん?」の指示にも応えられるようになりました。
はあ~よかった。。よかった。。彼の家族はもちろん、
私もうちの家族もみんな喜びました。
これはいけるぞ。彼の頑張りを信じて応援していこう。

重体(重傷は生命の危機なしですが重体はほんとに怖いのです)の
知らせを聞いたとき心の中はたちまち土砂降り。。長い土砂降りの後、
少し曇りに変わり、でもまた雨。。ずっと曇りのち雨の連続。。。
それがある日、奇跡のように晴れ間が見えてきたのです。

        ~~~~~~~~~~~

そして昨日、なんとアイスクリームが食べられるようになりました。
ごっくんすらできなかったのに美味しそうに完食しました。
「お名前は?」「○○○○」絞り出す、かすかな声で。
家族の顔を見せて、「これは誰?」「ママ」「パパ」「妹」「弟」の名前も言えました。

ついに復活しました!!すごいなあ!!

夢と現実の世界をまだ行ったり来たりしているらしいけどもう大丈夫。
小さな進歩でも毎日の積み重ねで大きな成長になる。
私は今回の彼の頑張りから大きな勇気をもらいました。
どんなに痛くて苦しくても頑張って生きることを諦めてはいけない。

私は”なるようになる”と考えていたけどそうじゃない。
”なるようにする”のです。

”絶対に諦めません。がんばります。”
といつも話していたお母さんの気持ちを私も見習わなくては。。

よ~し、私も子供たちに恥じないように・・・
子供達に負けていられない。。。

三週間ぶりに、とてもうれしい生き還った気持ちです。
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by studioacanthus | 2007-05-31 20:15 | 美恵

生きる力のつよさ

前回、カプリッチオ感覚でベレゾフスキーを書いた直後
悲しい知らせがありました。
以下のブログは5月20日に書いたものです。
でも、ここに載せるかどうか決心がつかず今まで下書きのままにしていました。
それがここ2,3日のうちに驚くべき変化があったので
御両親の承諾を得て載せる決心をしました。

           ~~~~~~~~~~~~~~~

5月10日小学校一年生のレッスンに来ている坊やが登校中に自動車にはねられ
意識不明の重体とお母さんから電話がありました!!
なんていうこと・・・・!!電話の内容ははっきり覚えていません。
ただ、頭の中が真っ白になリどっと落ち込んでしまいました。

先週に東京医療センターにお見舞いに・・・
集中治療室で小さな体にいっぱい太いチューブや細いチューブがつけられていた。
痛々しい。見るのもつらい。
鼻のてっぺんの擦り傷、おでこのコブ、痛かっただろう。。。

ごっくんの飲み込みがまだできていないので高カロリーの流動食だった。
でも時折、足を踏ん張ってすごい力を感じた。
看護士さんが痰の吸引などの手当てをしてくれてそれが苦痛だったら赤い顔をして
必死に抵抗している。生きようとする強さを彼から感じた。

まだまだ、先は長いだろうけど必ず今より少しずつ良くなっていくに違いない。

七歳の小さな体で一生懸命生きようと頑張っているのに私は何もしてあげられない。
彼の姿を見ただけでへろへろに落ち込む自分の精神力の弱さが情けない・・・

生きているだけでもまるもうけ、とある人に言われた。その通りだ。
生きていることに感謝せずにはおれない。

まだ彼の弟妹二人には事故のことを詳しく話していないそうだが
ベッドの周りで力強く応援してくれるだろう。
御両親の看病はものすごく熱心でたくましい。
あったかい家族の愛で、きっとよくなっていくだろう。
みんなも早く元気になるよう祈って欲しい。。

がんばれ、がんばれ!!
                                  5月20日


その後、御両親から
誰も何も教えてくれない、答えのない道に押し潰され、息ができなくなりそうになる中で、常に現実と向き合わなければならない毎日です。悲観や楽観、一喜一憂している場合ではないのですが、今日は嬉しかったです。いろいろ方からのお話やアドバイスがあったら、是非、教えて下さいとメールが届いています。
何かの知識がある方はぜひ教えてください。
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by studioacanthus | 2007-05-29 08:02 | 美恵

かけがえのない人との出会い 7

先日の私の誕生日にビッグなプレゼントが届きました。
中学時代の誕生日が私と同じで夫と共通な親友が(ややこしい^^;)
【渡辺美恵様 お誕生日おめでとう!
ちょっとびっくりな情報です。今さっき○○先生と電話がつながった】
とのメールをくれました。
え?ほんと?半ば話すことをあきらめていたのですごい驚きでした。

内容は○○先生はお元気だが記憶の欠落は厳しいものがありそうだと
書かれていたので覚悟してさっそく電話しました。
30年ぶりにあの懐かしい声が聞こえました。

『お元気でいらっしゃいますか。』
『はい、元気です。もう88歳です。
 私は自由の身になりました。』

昔の意気は感じるもののどうも呼吸が苦しそう。
話すのも精一杯で、ちょっとお気の毒な感じがしました。

『毎日の食事とか生活はどうされているんですか。』
『ケアーマネージャーさんが作ってくれるので何もしない。
 毎日本を読むだけで外出もしていません。』

『お元気そうで何よりです。』
『はい、元気なこと。何かする(働く)こと。そして頑張ることが大切です。
 私は何かをしていないと気が狂いそうになるんですよ。
 始めからちょっと狂っていたけどね。
 東京は遠いからいつでも電話かけてらっしゃい。』

ほんの少し笑っておられました。
話される言葉には感情の起伏がなく穏やかでした。
私はもしかして仏様と話ししているのかと思うような錯覚をおぼえました。
電話だけなので本当にお元気なのかどうかはわからないですが
お嬢さんのお世話もならずに一人で気丈に生活しておられるようで
なんともすがすがしい気持ちをいただけました。
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by studioacanthus | 2007-04-20 23:58 | 美恵

かけがえのない人との出会い 6 『まぼろし軍団』

中学生の時 『隠れて悪さをするグループ』のことを私たちは
『まぼろし軍団』と言っていました。
この名前をつけたのは○○先生です。
そして”まぼろし軍団”はまぼろしではなく本当に実在していました。
私はそのグループの人たちが具体的に何の悪さをしていたかは知りませんが
きっとお酒・タバコの類だったんじゃないかと思ってました。
でも酒、たばこも中学生では完全に罪になりますよね。

たぶんまぼろし軍団は6,7人くらいの男子のグループ。
メンバーの半分くらいの男子はとても身長が高く180㎝を超えていて
とてもじゃないけど近寄りがたい雰囲気を持っていました。
彼らがかたまって廊下を通ると私は引いていました。

先生は
『まぼろし軍団を征伐に行かなくてはいけない。えいえいおう~!』と言って
教室を抜け出し彼らとしょっちゅう面談しておられていたようです。

ある学期に、そのまぼろし軍団の二人が私の席の近くになってしまいました。
一人は斜め前の席、もう一人は横。

とっても怖かったんです。

当然話はしないし私は目も合わせない。意識的に避けていました。

そんな日ある日、まぼろし軍団の一人が声をかけてきました。
『あんたって毎日ピアノ弾いてるんけ?』
『うん。』
『ふ~ん、帰り道、あんたの家の前通るといっつも聞こえるんやけど、よう弾くな。
いっつも同じ曲弾いてんちゃうけ?』
『うん、練習してるから・・・』
どきどきしながら答えました。

もう一人の軍団の人からは
『この問題ようわからへん。ちょっと教えてくれへんけ?』
と照れながら言われ
怖そうな態度してるのにかわいいところもあったのを覚えています。

そうするうちに少しずつ彼らは私に話しかけてくれるようになり
私もだんだんまぼろし軍団の人から声をかけられのも慣れてきて
挙句には女子では滅多にしない彼らとの会話が手柄のように感じ始めました。

”私はまぼろし軍団と対等に会話ができる”

当時、大勢の友達を作ることが苦手だった私は
自信につながっていきました。
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by studioacanthus | 2007-02-28 21:32 | 教育

かけがえのない人との出会い 5 『お弁当の時間』

○○先生のお昼のお弁当は私の担任だった2年間ずっと全く同じでした。

マーガリンをぬった食パン2枚と学校で注文する牛乳のみでした。
ハム一枚入っていない。
大げさでもウソでもありません。
本当に2年間ずっとパンと牛乳だけでした。
気のつく女子の間では怪しがられていました。
あんな食事で大丈夫なんだろうか。
朝と夜で補っているのだろうか。
母にも言いました。
『あんな食パンと牛乳だけで生きていけるの?
奥さん何してるんだろ?家出していたりしてね。』
私もなぜ奥さんが先生にお弁当を作ってあげないのか不思議でしたが
先生にそのわけをお訊きすることはできずにt中学を卒業しました。

先生のお宅に遊びに行って、息子さんを見て、初めてわかりました。
奥様は息子さんのお世話に大変なので
御自分でマーガリンをぬって食パンを持って来られていたということだったのです。

さて、その食パンを持って先生は
『今日はどこの班へ行こうかな。』と言われ
毎日違う班で生徒たちと雑談しながら食べておられました。

ある日、私達の班に来られた時、
『高橋さんは夜何時に寝ているのかね?』
『12時過ぎくらいかなぁ。ピアノを10時まで弾いてその後お風呂と宿題
しているとすぐ12時になってしまうので。』
『それはいけない。寝るのが遅すぎる。何があっても12時前には寝なさい。
宿題できていなくても寝なさい。あなたは勉強しすぎていますよ。』
『はああ??』
『勉強はね、20歳過ぎてからすればいいんだよ。』
わたしはそのとき、
本当の勉強は20歳過ぎてからするものだということを知りました。
つづく
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by studioacanthus | 2007-02-21 11:15 | 教育

かけがえのない人との出会い 4 『先生の御子息』

○○先生のお宅を一度だけ訪ねたのは
大学を卒業したころだったと思います。
私が学校の担任の先生のおうちを訪ねたのは
後にも先にも○○先生だけでした。

先生の持つ何かに惹かれていたのは確かですが
いまでも何故あれほどまでに○○先生のおうちに
行きたがったのか分かりません。

中学時代の親友三人で○○先生のお宅に遊びに行きました。
公営住宅の一室。
初めて入る先生のお宅にワクワクしながらと書きたいのですが
そんな気持ちは玄関で吹っ飛んでしまいました。

『散らかっているけど、どうぞ。』
○○先生は笑いながらおっしゃいました。

本当に散らかっている。。
食卓テーブルの上は食器のやま。
出てこられた奥様は顔中あざか怪我をされたのか?
中では息子さんがわあわあ、話をしている。
とにかく普通ではないというのが瞬間でわかりました。
○○先生は
『うちの息子はね、ちょっと頭のねじが一本間違ってはまったんだよ。』

私は息子さん(私より年上)と会ったとたん、
涙がどどど・・・と溢れ出しました。
身が切られる感じでした。
泣いてはいけないと思っているのに涙が止まりませんでした。

『息子は自閉症っていう病気なんだよ。』
○○先生は穏やかに真剣に教えてくれました。
はじめて自閉症と言う病名を知りました。

息子さんは音楽が大好きで私たちがお邪魔しているあいだ、
ずっとずっとレコードを聴きつづけていました。
『彼はねぇ、音楽がとっても好きで、聴かない日はないんだよ。』

『どんなに悪い生徒でも話して話して話し続けると子供は必ずよい子になるよ。』

『毎日好きな勉強に追われている生活が苦しいけど楽しいんだよ。』

『親が子供に期待することほど罪なものはないんだ。』

『うちの息子は不幸だ、だけど僕は彼を子供に持つことができて
世界一の幸せものなんだ。』

おうちを訪ねてすぐに先生の今までの不可解な行動が理解できました。
ニクソン会議と言ってよく学校をお休みされていたのはその息子さんのため。
○○先生の邪(よこしま)なものに対しての正義感の異常なほどの強さ。

そして、その時に
○○先生は京都大学で哲学を勉強されたこと。
奥様は韓国人で同じく文学部で本を書いておられる歌人であること。
を知ったと思います。

一年分か一生の涙を先生のお宅で流すばかりで
結局言葉にならずに帰ってきました。
でも、あの一日で私が得たものは計り知れない。
私が強引に訪ねて行ったことが○○先生に対して申し訳ないことだったのではないか。
健康である自分がいかに恵まれていて、また怠けているか。

泣いて泣いて行き着くところで
少なくとも私は彼よりも健康である。
私はもし、自分が何かをできる人間に生まれているとしたら
それを活かすべく生きなくてはいけないと思いました。

その後、先生から
『あなたの流した涙は純粋な涙だった。恥じる事はないのです。』
という手紙を頂きました。
つづく
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by studioacanthus | 2007-02-16 20:42 | 教育

かけがえのない人との出会い 3 『授業中に回ってきた本』

私が(美恵)中学生で○○先生が担任。
何の授業だったかはまったく覚えていません。
ただ授業中だったことだけは間違いありませんでした。
前の列の友達がそっと隠して週刊誌を回してきました。
私は回ってきたんだから当たり前にその雑誌を受け取りパラパラめくりました。

うわっ、すごい。

私は中学生のそのときまで大人の男性用の雑誌は見たことがなかったのです。
すご~い、きれいな女の人の裸、今まで読んだ事のない文章に
ただただびっくり、すごい!
プレイボーイという本だったような。。

なんせ初めてのことですから時間を忘れ、その場も忘れ
我を忘れて眺めて、お隣の子と一緒に読んでしまいました。

いかん、読みすぎた。
慌てて、うしろの席の人にそっと先生にばれないように回してあげました。

それなのにどこでどうバレたのか、誰かが告げ口したのか、
先生に見つかってしまいました。

『この雑誌を読んだものは正直に教室の後に正座しなさい!!』
○○先生がものすごい迫力で怒鳴りました。

読んだんだから仕方ない。観念して・・・
恥ずかしいので下を向いて教室の後に向かいました。
5,6人、いや10人くらい座ったかな。
周りを見たら女子は私一人じゃありませんか!!
なんで??誰も女子は読まなかったの??
このときはほんとに顔から火が出るほど恥ずかしかった。
ただの本ではなくプレイボーイを男子ならともかく
女子一人、優等生の?私が喰らいついて読んだということが恥ずかしい。

かなり長い時間けちょんけちょんにお説教されました。
先生は授業をサボって雑誌を読んでいることよりも
教えてくださっている先生に対して失礼だと言うことをとことん説教されました。
よくこれだけ覚えてるものです。懐かしい。。
あの時はとっても恥ずかしい思いをしたけれど
もし、嘘ついて教室で正座しなかったらきっとここに書くことはできなかったでしょう。
つづく
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by studioacanthus | 2007-02-08 20:54 | 教育

 かけがえのない人との出会い 2 『仏の心の先生』

○○先生は今はもう80歳を過ぎていらっしゃいます。
○○先生は私の京都市立中学2年、3年の担任の先生で
2年間続けてお世話になりました。
科目は社会。
先生は授業に教科書もノートを持って来ないで手ぶら。
草履を履いていらっしゃる。
白い手ぬぐいをズボンの後ポケットからたらして
上は白のワイシャツ、下は黒のズボンが定番でした。
『今日はどこからかな?』と生徒に聞いてから世間話のように
歴史や政治経済の話をしてくださいました。
教室の中をず~っと歩きながら30分間、ただただお話しされるだけ。
嬉しいことに授業はいつも予定時間より早く終わっていました。
最後に黒板にその日のまとめを書かれるのですが
全て暗記されていて何も見ずに要点を箇条書きにして
黒板に書かれていました。
なんで全部覚えておられるの?すっごい記憶力!

かと思えばしょっちゅう学校を欠席もされていました。
『ぼくは、明日またニクソン会議に出席するので
学校をお休みしなくてはいけない!君たち、分かったかね。
静かに自習するように。』
と真面目な顔で話されるので本当に私は先生が
ニクソン会議に出られたのだと思っていました。
でもお休みされる時はいつもニクソン会議だったので
のちにウソだというのがわかってきました。
嘘っぱちの冗談や大げさなパフォーマンスでお笑い系。
これでは”良い先生”の枠にはまらない。
でも、ずば抜けた記憶力と話の説得力では怖いほどの賢さ。
得体の知れないお化けのような先生でした。
中学生の私にとっては衝撃的でした。

何かに憑かれたように私は○○先生だけには中学を卒業してから
ずっと年賀状を送るようになりました。
一年の締めくくりとして簡単な近況だけ書いて
30年以上毎年一度も欠かさず書いています。
そして先生も一文だけの年賀状を必ず毎年送ってくださっていました。
それが今年初めて先生の年賀状が届きませんでした。

わたしが気にならないわけがありません。

ついに先生のおうちに電話をしてみました。
何度しても出ない。。
先生は何年か前に息子さんを亡くされその後すぐに奥様を亡くされたのでお一人。

どうしても気になるので中学の京都の友達N君に電話してみましたが
いろいろ調べてくれてやはり彼も消息がつかめないとのこと。
けれどきっと先生は長女さんと一緒に過ごされているのではないかと言われました。
そうだったらいいんだけど。。。

次回から授業の思い出、いくつかのエピソードを書いていきますね。
つづく
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by studioacanthus | 2007-02-01 22:25 | 教育

かけがえのない人との出会い 1

久しぶりに意を決して懐かしい話をしましょう。

人はある大切な所で大切な人に出会うということがあるものでしょうか。

親から生まれ、育ち、友達、先生に出会う。
そして一生の伴侶となる人間に会い、また子供を産み育てていく。

私は幸運にもいままでに要所要所である方向に導いてくれる大切な人に
出会うことができました。

私自身が良い人と出会えたという意味もありますが
その意味以上に何かしら極めつけの人に出会えたということが
私にとって本当にラッキーなことだと思っています。

今の私は夫と一緒になったことが現在の私を作っているわけですから
そのことを感謝せずにはいられません。
しかし、夫に出会う前に物の考え方や価値観を教えてくれたのは
親と先生です。やっぱりそこにルーツがあるように思います。

私の人格形成に大きく影響したであろう先生。

乱暴ですが出会った先生を大きく分けると

1、反面教師となった先生。この先生を知らない方はこちら
2、可もなく不可もない普通の先生。ほとんどの先生がこのタイプ
3、人として正しく生きるべき心を指南してくださった先生。

2番にあたる先生はいつでもどこでも出会えるだろうから
わざわざ書く必要もありません。
3番目の先生はいまどうしても書きたい先生なのです。

人として正しく生きるべき心を指南してくださった先生。
そう滅多にいないと思います。

主人などは学校の先生に対してはほとんど記憶がないそうです。
物覚えが悪いのでしょうか。運が悪いのでしょうか。
彼の先生の記憶と言いますと、

”小学校の算数の時間、
先生が間違った式か答えを黒板に書かれたので
たまりかねてそれをそろっと指摘したら
先生曰く『わざと間違えて君達が気づくのを待っていたんだよ』という
あわれな答えが戻ってきた先生”の記憶しかないと言います。
つまりはずれだったようです。
お気の毒ですね。

それに比べ私は少なくとも三人、冗談抜きで
仏のような先生に出会うことができました。
いつかは書きとどめておこうと思っていたのですが
こんなに早く書こうと思う時期がくるとは思ってもいませんでした。つづく
                                
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by studioacanthus | 2007-01-30 23:12 | 教育

10月10日 先に生まれたのが先生 3

もうここまで書けば結論はお分かりかと思う。
間違えないで欲しいが私は子供達に我慢を勧めているのではない。
我慢でのりきれることはたくさんあると言いたいだけである。
我慢、努力、忍耐などの言葉は古めかしいと思うかもしれないが
世界では珍しい美しい日本の文化だと思う。
日本人として是非とも継承していって欲しい。
(美しい国とスローガンを掲げることとは違います)

ところで私の3,4年のクラス。担任の先生は荒れていたが
不思議とそのクラスの生徒たちの仲は大変よかった。
そんな先生でも生徒たちは先生を決して馬鹿にしなかった。
勉強においては学級崩壊になっていたがそんな言葉は当時存在しなかった。
今の保護者なら大騒ぎして大問題にして即刻クビになっているだろうけど
あの当時は誰も先生には文句を言わなかったようだ。
これは親たちのしつけが今と違ったからだと思う。
『先に生まれたのが先生。先生は目上の人だから尊敬しなくてはいけない』

でも親たちすべてがこんな古い意味を知っているとは限らない。
そんな大勢の親子たちの流れに逆らうことは並大抵ではない。
もはや手がつけられない状態まできているかもしれない。
クラスで『先生を尊敬しよう』なんて言ったら
『え?なんで?』って言われるかもしれない。
ためしに勇気のあるものは言ってみよう。
しかし勇気のない子供達はどうすれば良いのだろか。

そこで自己防衛策として見方を少し変えてみたらどうか。

私はそのどうしようもない先生のおかげで多くのやってはいけないことを
学ぶことができたと思っている。
きっと、先生抜きで同窓会でもあればその先生の話で盛り上がるだろう。
その先生がやってはいけないことをたくさんしてくれたからである。
”表裏(おもてうら)のある人間になってはいけない。差別をしてはいけない。
人をたたいてはいけない。教える能力がない者は先生になってはいけない・・・”

中でもその先生から学んだ一番の掘り出し物はというと・・
結局ろくに勉強も教えてくれなかったので

勉強は自分でするしかないのだ。

おませだった私は小学校の頃にすでに会得し始めていたと思う。



長いブログになってしまいましたがこれでおわります。
3つ続けてゆっくり読んでいただければありがたいです。
短くまとめて書くのは難しくこれでも私なりに短くしたつもりです。
主人は『こんな文書いたら生徒が逃げていくわ、あほや~、』
と言う。必ず釘を刺す我が家の曲者(くせもの)だ!

最後に・・・

何かができない友達がいれば助けてあげよう。
いじめられている子がいれば友達を誘ったりしてその子を守ってあげよう。
意地悪な子がいれば自分は意地悪にならないように気をつけよう。
最初の一歩が出られれば後は案外簡単かもしれない。
そして、すべての鍵を握っているのはやっぱり親だと思います。
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by studioacanthus | 2006-10-10 20:38 | 教育