カテゴリ:コンクール( 17 )

2008年 ピティナG級審査

ピティナG級一次Ⅱの審査に行ってきました。
時期的に比較的早い方でしたので2日で50名足らず、
じっくり、一人もカットすることなく聴くことができました。
最後のほうの日程では混み合う可能性もあり、
もし多人数になってしまうとカットにされますから、
そういう意味ではこの時期を選んだ方はラッキーだったと言えるでしょう。
演奏時間が10~15分ですから
もしかしたら最高5分程度のカットが出ることもありうるわけです。
仮にですが、演奏時間10分と15分の違いは大きいですね。
しかし、これも運です。
開催地が東京だけなので関西や地方からの人にとっては大ごとですね。

G級は一次予選では「自由曲+好きなショパンエチュード1曲」と
必ずショパンのエチュードを弾くことが義務付けられていますから
一次予選の審査はかなりの割合でショパンが私はものを言うと思います。
ショパンのエチュードはテクニックだけでなく
その子の持っている音楽的才能を明らかに示してくれます。
ショパンを聴けばその子の将来が見えるといっても過言ではありません。
そのくらい重要で難しいものでありショパンのエチュードを超えるエチュードは
存在しないでしょう。
(ゴドフスキーのショパンエチュードに基づく53曲は除きましょうね^^;)

まだ、G級もいくつか予選が残っているので具体的に書けませんが
年々受ける人の均質化が進んでいるように思いました。
A,B,C級ではだいぶん前から
入賞する子供たちはみんな同じように弾く傾向がありましたが
それがもうG級にまで波及してきているように思いました。
なんだか、とても残念です。
また、小さい頃からピティナに入賞するために学んだであろう
ピティナっ子風?の演奏もありました。
いくらかわいいからと言っても大人に子供の服を着せるとなんだか奇妙ですよね。
同様に大人になっても「ピティナっ子」で弾いていると
やはり違和感を感じるものです。

人間はみんな思春期を迎えて大人になっていきます。
かわいい身体も男の子はみんなひげがはえたり声変わりをするし、
女の子も成長します。
ピアノだって演奏も考え方もずっと子供のままでは通じるわけ無く
いずれ必ず大人の演奏にならなくてはいけません。
そこを上手く超えられるかどうかで将来が決まってしまうんだろうなぁと
ぼんやりと思ったりしました。

幼虫から脱皮して立派な成虫になれるようにお手伝いするのが私たちの役目です。
彼らの演奏を聴いて私たちの責任の重さを再認識しました。
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by studioacanthus | 2008-06-16 23:32 | コンクール

ピティナB~D級のうつり変わり

昨夜、ブログを書こうとしたら友理がオケの伴奏を弾いてくれと言ったので
ちょっと軽く流そうと思って始めたらあれやこれや
結局2時間以上教えたり弾いたりで夜が終わってしまいました。

九州本選EF級については80人ほど聴いて結果四人決勝進出となりました。
今回、私が心も身体(テクニック)も順調に育っていてうまいと思ったのは一人でした。
私の要求が高すぎるのかもしれません。
もしそうならば、大学時代の先生の教えによるものです。

やっとこさ、本題に入ります。
長くなりそうなので時間の余裕のあるときにどうぞ。
B~D,E,F級の変貌なんて大げさなんですが
私の中ではとても疑問に思う現象を感じます。
九州のE級F級の本選もD級と似たところがありました。

B級は小学4年生以下。
でも姿を見ないで聴くとまるで大人が弾いているのかと
思うような子がたまにいるのです。
今の時代、どうなっているのかしら??
ドラマの子役が大人の喋り方で演じているのと同じ感覚です。
もう一つ気になるのが子供達がみんな同じような弾き方をしていることです。
「模範演奏のCDのまねをしているんじゃないか。」と先生方は言われていました。
確かにそうかもしれない。
きっと熱心な先生が一つずつの音を子供達に手に取るように教えてあげて
よいこの子供はお母さんと一緒に真面目にこつこつ練習しているのでしょう。

ところが中学生くらい(D級)以上になると変わってしまいます。
まず受ける人数が激減。。
何故みんな受けるのをやめるんだろう??
質もあまり良くない。
あんなに上手に弾いていた子たちがなぜあんな風になるのかしら??
それとも上手に弾いていた子がどこかへ消えていったのかしら??
審査の先生方は「塾と勉強で忙しいんですよ、」と言われていました。
それも一理あるかもしれないけど、それだけではないはず。
なぜなら音楽の本質的なことができていないのがよくきこえるからです。
明らかに基本的なことをわかっていないでたくさん無駄な練習を
しているだろうと思われる子がかなりの人数を占めています。
せっかく一生懸命弾いている子達なのにうまく表現できていない。
単純な時間の問題、練習量の問題とはとても思えないし、
大変残念なことです。

D級くらいになってようやく音楽本来の面白さや難しさをもつ曲になります。
これは言い換えると一つずつ手取り足取り
先生が教えることができない複雑な曲になるということです。
子供自身が学んだできた本来の力を問われる曲になってきます。
ここでまた才能が何たらかんたら言われそうだけど
もともと恵まれている子はそうは滅多にいません。
9割以上の普通の子供達はみんな考え努力しなければできないのです。
私も小学生のころから、どうすれば楽に弾けるか、うまく聞こえるかを
考えて練習していたのを覚えています。

ところが小さい頃からあまりにコンクールの賞取りに熱心でありすぎると
子供は幼児のときに習うべき音楽の基本原理を学ばずに
コンクールの曲ばかりを追いかけてしまうことになります。
体裁よくコンクール向けに作ることを繰り返していると
必ず何かを欠きバランスを崩してしまいます。
そこで不幸になるのは先生ではなく子ども自身なのです。

曲が難しくなると弾けなくなるようなテクニック(勉強で言うと応用のきかない考え方)
は今回のピティナだけのことでなく何年も前から私はずっと気になっていることです。
子供達の、小学高学年からの伸びるべき時期になってからの成長は
お母さんが考える以上に大きいです。
思春期から伸びる子供に育てるのが小学生のときにすべき教育だと
私はいつも思っています。。
        
         ~~~~~~~~~~

今回のピティナ一連ブログを友理が読んで
「前向きでなく後ろ向き志向だ」と私に言いました。
いいえ、しっかり前を向いているから見えるのです。
私は光の当たった子だけに目を向けるのでなく
当たらなかった子であってもめげることはないと言いたいだけです。
入賞した子はそれを励みにどんどん頑張れば良いことだし
たとえうまくいかなかったらそれを踏み台にすればよいのです。
毎年のコンクールは上手に使って成長してほしいです。
世の中の流行にあおられずに。
長いものには巻かれずに。
なにより失敗を恐れずに。
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by studioacanthus | 2007-08-15 22:58 | コンクール

幼いころの思い出~友理のピティナ~

毎日のアクセス検索ワードがピティナ関係のオンパレードです。
こんなに多くの方が興味を持たれているとは・・・
私もまだ本選の審査が残っているのでそれがひと段落してから
先日のつづき(B級からD級の変化)をアップすることにします。

今回は一つの例としてピティナの友理の幼いころの思い出話を書きましょう。
友理が初めてピティナを受けたのは年中さんでした。
ピアノを弾き始めて数ヵ月後くらいだったか??
申し込み締切日直前に課題曲を決めてそれから練習を始めさせました。
まだ幼く病気もよくしていたのでこの時だけは病欠になるのを恐れて2箇所
申し込んでありました。
1番目の会場で他の子供達の演奏を聴くと
もうすでに何人かは幼稚園なのに大人っぽく仕上げてありびっくりしました。
こんなスタイルなら落ちるな・・・と思っていたら案の定落ちました。
次の予選まで一週間あったので慌てて少し流行の曲想をつけ
テンポを速くさせたら予選は通過しました。
そして本選。
当時今ほど人数は多くなかったので結果的には第2位をいただけましたが
当時は第1位しか全国大会には行けなかったのでそこで終わりました。
その時に1位になった○○○ちゃんは狂喜せず1位になったのに泣いていました。
「これで夏休みは全部レッスンになってしまう。。
こんな生活良いのか悪いのか。。
ディズニーランドがおあずけになるの。」
全国大会に行けるのに親子で悲観的に嘆いていらっしゃいました。
彼女は年長さんで毎日5,6時間さらっているそうで私もそれはよくないなあと思いました。
結局彼女は小学校でやめたそうです。

次の年長さんくらいだったか?B級を受けたらこれはものすごい大人数。
たしか本選で60人くらいいたと思います。
その中から全国大会にいく一,二人を選ぶのなんて??
もちろん落ちました。本選6位だったと思いますがが賞状たちはそういえばどこへ??
あまりの大人数の審査はよくないと思いしばらくコンクールはやめました。

その数年後の小学5年生のときE級(これも本選優秀賞だったと思う)
私はいつも2ヶ月弱くらいの準備で一つだけの地区で受けさせました。
何ヶ月も同じ曲を成長期の子供に弾かせるのは
得るものより失うものの方が大きいからです。
また、すべてのコンペで飛び級で受けさせました。
年齢の曲をさらいこませて安定させるよりも少し上の級で勉強するのが
子供の成長にはよいと思い全部飛び級させました。

子供時代の入賞などは私はたいして興味はありません。
なぜなら5年、10年も経つと成長には変化も出るし
ピアニストを目指すならその賞は時効になると思うからです。

さらい込みが浅く不安定など何が原因でコンクールに入ったり落ちたりしているかは
わかっていたので放っておきました。友理自身もケロリとしていました。
その後もいろいろなコンクールに出たりして
運良く頂いた賞もありがたいものですがそれ以上に
いろいろな想い出が親子には残っているのが大切な宝です。

コンクール入賞のためにピアノを弾くのではなく
マンネリしそうなピアノ練習にエッセンスを加えるために受けるのです。
コンクールをうまく経験することに本当の意味があります。
何度も言いますがコンクールのために弾いているのではなく
ピアノが好きだから弾いているのです。
27歳くらいになるとコンクールは終わります。
その後をどう生きるかが一番大切です。

友理は小学生の頃は勉強はなしでピアノとお昼寝と本読み外遊びの生活でした。
ピアノを上手に弾くことで頭や指、耳を使い集中力は養えていたと思います。
ピアノを考えて弾くことは脳の活性にとてもよいものです。
今は小学生のころよりはずっとたくさんピアノも勉強もするようになりました。
そしてイタリアへ行ってまた違った文化を体験しているようです。
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by studioacanthus | 2007-08-05 11:29 | コンクール

ピティナ~点数と講評~

こんにちは。
大忙しの一週間を終え子供達の発表会プログラムの
原稿も書き終え今週は一息つけそうです。
私のブログの中ほどにネームカードというのがあります。
これにアクセス解析というのがくっついてあり
ブログ管理人に検索キーワードがわかるようになっています。
(個人のアドレスは全くわからないので御心配なく。
いつだったか話がそれますが
「ユンディ・リ はったり」という検索がかけられてあった!)
7月はやっぱりピティナ関係の検索が多かったです。
今夏の審査でみても小学生あたりの親子さんが一番熱が入っているようでした。
なので、ピティナの子供達の級について少しだけ。

今回聴いた名古屋と藤沢では同じ級であってもレヴェルがかなり違い、
受ける地区の運は大きいものがあるのを感じました。
検索ワードにも具体的に「ピティナ点数差」というのもありましたので
やっぱり点数には神経質になるのもわかりました。

点数と言うものは大抵のコンクールは
相対的につけられるものと思ってよいと思います。
しかし点数をもらう側はそれを絶対的なものとつい感じてしまいます。
あの先生が何点,この先生が何点、
この先生の点がもっとよければ予選通過していたのに。。
逆にこの先生の点数がずば抜けてよく
すっごく褒めてくれてたから私うまいんだわ~。
これが受ける生徒側の感じ方です。
個人の先生方の点数は他の先生の点数と比較しても
意味がなく完全に点数の合計点で順位をつけるので
結果はその時に受けた地区での相対評価が順位になります。
ここで受ける地区の大きな運というものがモノを言うのです。

次に講評については
受ける方たちは安直に講評を鵜呑みにしないでほしい。

小さい頃友理が頂いた審査員講評の一例。
~が大変素晴らしい。(誰でも書く文や。。)
~な演奏でお見事!!(軽い審査員やなぁ)
音楽が流れていない。( これは友理にはありえないなあ。)
身体を動かすと表現力がアップする。(本当かね?)
などなど、
???と思われる講評もいくつか頂きました。
もちろん、ごもっとも、と思う講評がほとんどですので誤解のないように。

私は友理のことを知っているのでどんな点数、講評をもらおうと
わが道を行けますが、音楽が専門でないお母さん方はつい
審査員のお言葉を信じてしまうのも仕方がないのかもしれません。
でも審査員だって同じ人間ということを忘れないでいただきたい。
特に小さいお子さんの級は(B、C級程度まで)の演奏は大人数でしかも
2、3分程度しか聴けないのですから聴いて書いておまけに点数までつけると
いうのは公平には行われていてもブレが生じるのです。

ピティナでよい成績が取れなかったのでやる気が失せた。やっぱり才能がない。
なんて思われるのはコンクールの負の部分しか経験できないよくあるパターン。
逆に良い点数をもらえたので、もしかしてうちの子はいずれピアニストに??
これまたお気をつけようパターン。。
まだ生まれて10年もたっていない子供に才能があるのないのを
親が考えて一喜一憂するのは愚の骨頂です。

小さい子供の成長は親と先生が握っています。
子供のうちは目先の結果にこだわらずその子自身の成長を節あるごとに喜んで
長い目で見て育てていって欲しいものです。

次回はB級~D級の変貌ぶりについて。
G級~特級はコンクールカテゴリーからどうぞ。
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by studioacanthus | 2007-07-31 21:25 | コンクール

しょうがないこと~チャイコフスキー国際コンクール~

ある大臣が発した『しょうがないこと』
今年の流行語になるかもしれませんね。

今回のチャイコフスキー国際コンクールピアノ部門では1位が出ませんでした。
その1位を出さない情報は開催前から私のような末端の人間でも知っていました。
本来ならば開催は去年ですが1年延期になっていました。
前回のスキャンダラスな出来事のためではないでしょうが、
スポンサーがつかなかったとか、ホール改築のためとかいろいろ言われており
正確なことは知りません。
今回はト○タ自動車がスポンサーになったので
日本はどうなるものかと思っていたら
ヴァイオリン部門で1位が出て、めでたく私の不安は解決しました。
数年前に
チャイコフスキー国際コンクールではイタリア国籍だと
それだけで書類審査で落とされる、
ということをある方から聞いていました。

一般の人はへぇ~そんなことがあるのかと驚かれるでしょう。
私だって少し前はそこまで醜い話は信じられませんでした。
日本人の私達には考えられないような話です。

今回セミファイナルで20人残っていましたがそのほとんどが、
あるロシアの音楽院の生徒であり、14人までがロシア人、
残りは旧ソ連、アジア、ヨーロッパにおいてはドイツ人一人でした。
以前から国際コンクールは開催国の経済や人間と密接な関係が有る
と言われています。国の経済は国を支配するんですね。

これはしょうがないことなのでしょうか。
しょうがないことにしていいのでしょうか。
『しょうがないこと』が『どうしようもないこと』になっていくともっと悲惨です。

ここはひとつ、自分の耳を肥やし、
世の中の出来事に惑わされず、
純粋にピアノを楽しめばしょうがなくないんだよね。
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by studioacanthus | 2007-07-06 21:16 | コンクール

グランミューズ

ピティナ・グランミューズの審査に行ってきました。
なかなか楽しいコンペでした。

音大を卒業された方、そうでない方、
40歳以上の方などいろいろなカテゴリーが自由に選べるし
選曲も自由ということことだったのでここ数年で
受験者がみるみる増えていってるんだそうです。

受ける方の姿勢、目標、動機はさまざまなので
これをひとまとめにして点数をつけるというのはかなり無理があるとは
思いますが、愛好家たちのための緊張するステージの場と
きちんと理解して受ければ効果があると思いました。

アマチュアといってもみなさん、本当にうまいんです。びっくりしますよ。
選曲も難易度の高い曲、G級や特級の曲となんら変わりはないのです。
ときどき気持ちだけが先走って体がついてきていない人もいました。
でもそれも御愛嬌。

私は受ける方の演奏、音に対する愛情のある方には
多少指が思うように回っていなくとも
気持ちは分かるので点数を出しちゃいました。
今はうまく弾けていなくとも5年10年先には必ずうまくなるからです。

カテゴリーでは音大卒、音大卒以外と別れていますが
実際聴いてみると音大卒もそうでない人も同じものさしではかれるのです。
つまり音大だろうと何だろうとたいして関係ないということです。
気持ち次第でうまくなれるということを実感しました。

本当にプロ顔負けと思われるほど素晴らしい方もいらして
仕事をしながらあれだけ弾ける、弾く熱意には感心しました。
きっと見えないところでいろんな努力をされているのでしょう。

人生80年?88年?ピアノとともに歳を重ねれれば楽しいですね。
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by studioacanthus | 2007-06-24 20:33 | コンクール

2007年ピティナG級審査に行ってきました

今年初めての審査で多少緊張しながら聴いてきました。
G級のⅠで日程的に早かったせいか受験者数は比較的少ないようでした。
通過割合は2割~3割弱程度ということで私もその数字を目安に
8点以上つけました。
全ての人の演奏を覚えておくことができる範囲の人数だったので
全体を見渡せて点数をつけられ、私自身大変公平に書けたと思っています。
点数をもらう側としてはきっと点数を高くくださった先生に対して
「よい先生」と思いがちですが実際には全体に高めにつけられる先生、
低めにつけられる先生がいらっしゃるので個人の点数はあてにはなりません。
つまり、高く書かれていた先生は他の人にも高い点数をあげている
可能性が高いということです。

さて、講評については私はいつものことですが
あまり褒め言葉を書くことが得意ではありません。
って言うか、ウソの褒め言葉を書くことが出来ません。
私自身が褒められて育った時代の子ではないということも関係すると思います。
でも、私が思うに、よいところは褒めなくても自然に伸びていくのです。
逆に欠点は指摘されないと気がつかないことが往々にしてあります。
それにG級を受ける方たちは今さら褒められても、もしかしてあまりうれしくないかも、
というお年頃の方たちです。
私も書きながらなんでここまでしつこく今後の課題をたらたらを書くのだと
自己嫌悪に陥りながらもつい書いてしまいました。
もし、少しでも褒め言葉が書いてあればきっとそれはよほど私の心に残る
気持ちのよい演奏だったのでしょう。

ある、お友達で且つ立派な先生からのお年賀状に
「辛口のブログですね。」と書かれていました。確かにそうかもしれません。
私はこれからの若い人たちが踏まれても踏まれても伸びていく強い雑草のように
生きていってほしいのです。
喩えが雑草になるのはよくないかしら?いつかは、きゅうりだったもんね。

次回特級を受ける方は御参考まで。こちら
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by studioacanthus | 2007-06-11 21:37 | コンクール

11月15日 第6回浜松国際ピアノコンクール

日曜日から浜松国際ピアノコンクールをストリーミング配信というもので
4日間PCで聴いていました。一次予選通過者は16日の夜に発表です。

生で聴いてないので大まかなことしかわかりませんがそれでもよくわかりました。
あの緊張の中で弾けるのは並の人間でない。。
私なんかステージでひっくり返りますよ。
まずこのコンクールの特徴を言えば
出場者の粒がよくそろっていることです。
やっぱり日本のコンクール。
目立って変てこな人がいないのです。
だから同じようなアジア勢がでてくると飽きちゃうんです。
でも一般的に聴いたらみんなうまいに違いないし
確かに指のテクニックでは一定レヴェル以上の方たちばかりです。
よくこうも粒のそろった人を集められたというか集まったのかわかりませんが
それだけで感激物です。

個人的な事はここでは書きませんが
毎日生徒たちには少しだけ感想を伝えていました。
興味のある生徒は読んで聴いてくれたかな。

今日までの一次予選をざっと聴いて大きく国のカラーが今回は見えました。

中国=器用。
韓国=強い(辛い)。
ロシア・ウクライナ=大きい。
イタリア=美しい。
日本=几帳面。
いかがでしょう??皆さんはどれを取りますか?

一言で言うのはかなり無理がありますが大雑把に見てこんな感じです。
(ドイツ人参加ゼロ。フランス人は一人。
なのにイタリア人が五人も出場するとは好奇心か、暇なのか)

私は今回のイタリア勢にはものすごく魅力を感じました。
これは友理がイタリアに行っているから
ひいきで見ているのでは決してありません。
今までに五人のイタリア人の演奏を聴きましたが
共通するのは美しい音、奥底に聴こえる自然な本当の歌。
どんな強音でもきつくない、不思議な音です。
そして弱音はとっても優しく撫でるような音なのになぜかいやらしくない。
特にフレーズの終わり、曲の終わり方が素敵。別れ際が素敵!!
(実際の男女間の恋愛もそんな感じ??知りませんよ!)

彼らは意識的に音色に変化をつけているのでなく、
その時の気持ちで音色が変化しています。

こういう演奏は何べんも聴きたくなるのです。
というかもうすでに何回も聴いています^^;
絶対に他の国の人と大きく違うベルカントの世界がありますね。
ただ、審査員たちがそれをどこまで評価してくれるかどうかなんですが。。
85番 ヴィレル・ヴァルボネジ。5番ガブリエレ・バルドッチ。
82番アレッサンドロ・タヴェルナ(12番トマソ・コガートさんはイマイチ)

どの方もあまり響きのいい名前ではないですが是非聴いてみてください。
第6回浜松国際ピアノコンクール
イタリアに対してどうにもならない不便、勝手、女好き、
いい加減な国で愛想をつかしていたけれど今回の彼らの演奏を聴いて
イタリアを許してあげよう、という気持ちになりました。

プログラムを持っていないので個人のプロフィール無しで聴いて
書くのは怖いけど先入観なしで書けます。
ウクライナ、ロシア人についてはきっとたくさんの方が
二次予選に進める感じなのでそれについては気が向いたら。
後一日残っていますが19番アレクセイ・ゴルラッチ。
23番 サーシャ・グリュニュク。61番ディナーラ・ナジャーフォヴァさんらは
若いしいい線いくと思います。
こうも粒ぞろいのコンクールだと審査員の趣味、
あるいは魔の手がものを言うかもしれません。
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by studioacanthus | 2006-11-15 22:45 | コンクール

7月17日 ピティナ特級Ⅲ

しつこいですが反響がありましたのでつづきを書きます。

コンクールで弾く事は本人にとったら大変なプレッシャーになるのは
充分わかっています。
演奏会となると精神的にずっと楽になり楽しめるかもしれませんが
(競争が好きな人は別として)やはりかなりきついものがあると思います。

まず、コンクールを受ける動機を考えてみましょう。
キャリアのため。本番練習のため。今回はオケのチャンスを狙って。
先生に勧められたから。いろいろ個人の動機があると思います。
しかし、審査する側はその個人的な事情は全く知らずに同じものさしで
聴かなくてはいけません。ですから、聴く側は演奏の質もですがそれ以上に
その人間がどういう人か、どんな資質のある方かを見極めようとします。

私個人の意見で恐縮ですが私は演奏会であってもコンクールであっても
演奏を通してそこから見えるその人となりを聴いてしまいます。
たとえばあまり技術面でよろしくないとしても愛情あふれる演奏ならば好感を持つし、
逆に非の打ち所なくうまくても冷ややかであったりするともう良いわという
気持ちになったりするものです。やっぱり聴いているのは生身の人間ですから、
何かしらの魅力を得たいものです。

聴く人により完成度、表現力、など聴く観点が様々ですが
まず一次予選は音楽をする基本的な能力(特に耳)が備わっているかどうか。
次に私はミスや完成度よりもその本人が音楽とどのようなかかわり方、
どんな感じ方をしているかに興味を持ってしまいます。
本番演奏のできばえ以上に演奏から感じる人間を見たくなるのです。
人と会話している時に相手がどういう感じの人か自然にわかるのと同じ感覚です。
たったの20分しか聴けないので、その短時間に演奏者自身がどんな人か
を一生懸命聴きます。もちろん、見間違える時もありますけれど。

子供達の場合はどれだけ頑張ったかという頑張り度で点数をつけたりしますが
プロでピアノに進まれようと思っている方には頑張り度などの次元ではなくもっと
深い本質的なもの、極端な話、本気でピアノを続けられる能力を持っているか、
そして本当に音楽を愛して弾いているかどうかが決め手になると思います。

ときどき、『ここまでやってきたのだから諦められない。他にすることがない。
コンクールがないと勉強しない。挙句は学校の勉強ができないから。』と
訳のわからない理由で続けているようなことを言っている学生さんを見かけます。
もう一度、なぜ自分はピアノを弾いているか、を考えてみるのはどうでしょうか。

ピアノのない生活を想像してみましょう。
そんな生活は想像できないわ、と思われる方は是非ピアノとともに生きてください。
きっと人にはわからないけど楽しい人生になるでしょうから。

逆にピアノのない生活が楽だろうなと思われる方は考えた方がよいのかもしれません。
(注意!これは特級を受けられるくらいまで頑張ってこられた方に対してであって
子供たちではありません。
子供は放っておくとどんどん楽な方に行ってしまいます。私もだけど^^;)

一つのものを追求すると困難と喜びは紙一重になっていきます。
困難に苦痛が伴うのであればそれはよくありません。
たった一瞬の喜びを感じるために日々こだわって勉強できるひとは
誰がなんといっても続けるべきですし、もしふとした小さい喜びを見つけられたら
その人はとても幸せな人間なのでしょう。
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by studioacanthus | 2006-07-17 22:41 | コンクール

7月13日 ピティナ特級Ⅱ

今日は友理の帰国日、5時に目覚めてしまいました。

さて、特級の選曲について感じたことを少しだけ。
私が学生だった頃はエチュードといえばショパンを指していました。
しかし、今ではショパンを弾くと不利だと言われているせいなのか、
人を圧倒させるような選曲が一般的に多いようです。
特級の一次予選はショパンを除く作曲家からの選曲なのでショパンは弾けません。

そこでショパンを除くエチュードで幅をきかしていたのがロシアものでした。
エチュードに限らずなぜかロシアものが多かったです。
もっと言うなら爆音系の曲が多かったのです。なぜでしょう?
ごまかしがきくとでも思って選んでいるのでしょうか。(学生の頃は私が思った^^;)
あるいはラフマニノフ、スクリャービンを純粋に受験者たちが好きなのでしょうか。
流行っているからかもしれません。

これらの一部の曲は皮肉なことに体格的に断然男の人が有利です。
外国人にはCからGまで届くピアニストはたくさんいらしゃいます。
ソ-♭シ-♭ミ-ソ-♭シの和音がいっぺんに軽くつかめる外国人、います。
そんな人がいる世界に普通の日本人女性がどう立ち向かっていっても・・・・
体格的に永遠に不可能なのです。
それなのに頑張ってついラフマニノフの和音だらけの曲を弾いてしまう。。。
その弾いてみたい気持ちが分からなくはない。しかしいずれにせよ、
好きなら良いのですがコンクールのためだけに弾かれると悲しい。。

私が爆音系の曲を弾かれた人でよい音と思ったのは2人だけ。
そのくらい美しく大きな音を出すのは難しいのだと感じました。

審査員は何人もの演奏を続けて聴いています。
続けて聴いている立場のものから言うとロシアものが出てくると
(またか・・)と聴く前から拒否反応を起こす場合もあるかと思います。
ですから、逆にたまにドイツものフランスものが出てくると
ほっとしてしまうこともしばしばです。
(このくらいのことを見通しておられた方も少なからずいました。)
これは、コンクールという他者との比較から生じる不公平なんですが、
コンクールである限り避けて通れないものです。

それと、皆さんが組んでこられたプログラムを見て、
もし自分が演奏会に行くとしたらどのプログラムのコンサートに行きたいですか、
と質問したらどうでしょうか。
なかなか行きたいプログラムは見つからないのではないでしょうか。

コンクールにはそれ用に組んだ方が確かに良いのかもしれません。
しかし、自分が聴きたいプログラムを作るということも私は大切だと思います。
聴く人の気持ちになって。

以前も書いたかと思いますがコンクールを受けられる年頃は
それを目標に頑張れますが受けれなくなった歳になったときが正念場です。
勉強で言うなら試験や偏差値があるときの方が幸せなのです。
それがなくなった時どうやって生きるか。。。
若い時代を真剣に一生懸命生きてもらいたいです。

                                つづく
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by studioacanthus | 2006-07-13 08:53 | コンクール