ピティナB~D級のうつり変わり

昨夜、ブログを書こうとしたら友理がオケの伴奏を弾いてくれと言ったので
ちょっと軽く流そうと思って始めたらあれやこれや
結局2時間以上教えたり弾いたりで夜が終わってしまいました。

九州本選EF級については80人ほど聴いて結果四人決勝進出となりました。
今回、私が心も身体(テクニック)も順調に育っていてうまいと思ったのは一人でした。
私の要求が高すぎるのかもしれません。
もしそうならば、大学時代の先生の教えによるものです。

やっとこさ、本題に入ります。
長くなりそうなので時間の余裕のあるときにどうぞ。
B~D,E,F級の変貌なんて大げさなんですが
私の中ではとても疑問に思う現象を感じます。
九州のE級F級の本選もD級と似たところがありました。

B級は小学4年生以下。
でも姿を見ないで聴くとまるで大人が弾いているのかと
思うような子がたまにいるのです。
今の時代、どうなっているのかしら??
ドラマの子役が大人の喋り方で演じているのと同じ感覚です。
もう一つ気になるのが子供達がみんな同じような弾き方をしていることです。
「模範演奏のCDのまねをしているんじゃないか。」と先生方は言われていました。
確かにそうかもしれない。
きっと熱心な先生が一つずつの音を子供達に手に取るように教えてあげて
よいこの子供はお母さんと一緒に真面目にこつこつ練習しているのでしょう。

ところが中学生くらい(D級)以上になると変わってしまいます。
まず受ける人数が激減。。
何故みんな受けるのをやめるんだろう??
質もあまり良くない。
あんなに上手に弾いていた子たちがなぜあんな風になるのかしら??
それとも上手に弾いていた子がどこかへ消えていったのかしら??
審査の先生方は「塾と勉強で忙しいんですよ、」と言われていました。
それも一理あるかもしれないけど、それだけではないはず。
なぜなら音楽の本質的なことができていないのがよくきこえるからです。
明らかに基本的なことをわかっていないでたくさん無駄な練習を
しているだろうと思われる子がかなりの人数を占めています。
せっかく一生懸命弾いている子達なのにうまく表現できていない。
単純な時間の問題、練習量の問題とはとても思えないし、
大変残念なことです。

D級くらいになってようやく音楽本来の面白さや難しさをもつ曲になります。
これは言い換えると一つずつ手取り足取り
先生が教えることができない複雑な曲になるということです。
子供自身が学んだできた本来の力を問われる曲になってきます。
ここでまた才能が何たらかんたら言われそうだけど
もともと恵まれている子はそうは滅多にいません。
9割以上の普通の子供達はみんな考え努力しなければできないのです。
私も小学生のころから、どうすれば楽に弾けるか、うまく聞こえるかを
考えて練習していたのを覚えています。

ところが小さい頃からあまりにコンクールの賞取りに熱心でありすぎると
子供は幼児のときに習うべき音楽の基本原理を学ばずに
コンクールの曲ばかりを追いかけてしまうことになります。
体裁よくコンクール向けに作ることを繰り返していると
必ず何かを欠きバランスを崩してしまいます。
そこで不幸になるのは先生ではなく子ども自身なのです。

曲が難しくなると弾けなくなるようなテクニック(勉強で言うと応用のきかない考え方)
は今回のピティナだけのことでなく何年も前から私はずっと気になっていることです。
子供達の、小学高学年からの伸びるべき時期になってからの成長は
お母さんが考える以上に大きいです。
思春期から伸びる子供に育てるのが小学生のときにすべき教育だと
私はいつも思っています。。
        
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今回のピティナ一連ブログを友理が読んで
「前向きでなく後ろ向き志向だ」と私に言いました。
いいえ、しっかり前を向いているから見えるのです。
私は光の当たった子だけに目を向けるのでなく
当たらなかった子であってもめげることはないと言いたいだけです。
入賞した子はそれを励みにどんどん頑張れば良いことだし
たとえうまくいかなかったらそれを踏み台にすればよいのです。
毎年のコンクールは上手に使って成長してほしいです。
世の中の流行にあおられずに。
長いものには巻かれずに。
なにより失敗を恐れずに。
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by studioacanthus | 2007-08-15 22:58 | コンクール
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