7月17日 ピティナ特級Ⅲ

しつこいですが反響がありましたのでつづきを書きます。

コンクールで弾く事は本人にとったら大変なプレッシャーになるのは
充分わかっています。
演奏会となると精神的にずっと楽になり楽しめるかもしれませんが
(競争が好きな人は別として)やはりかなりきついものがあると思います。

まず、コンクールを受ける動機を考えてみましょう。
キャリアのため。本番練習のため。今回はオケのチャンスを狙って。
先生に勧められたから。いろいろ個人の動機があると思います。
しかし、審査する側はその個人的な事情は全く知らずに同じものさしで
聴かなくてはいけません。ですから、聴く側は演奏の質もですがそれ以上に
その人間がどういう人か、どんな資質のある方かを見極めようとします。

私個人の意見で恐縮ですが私は演奏会であってもコンクールであっても
演奏を通してそこから見えるその人となりを聴いてしまいます。
たとえばあまり技術面でよろしくないとしても愛情あふれる演奏ならば好感を持つし、
逆に非の打ち所なくうまくても冷ややかであったりするともう良いわという
気持ちになったりするものです。やっぱり聴いているのは生身の人間ですから、
何かしらの魅力を得たいものです。

聴く人により完成度、表現力、など聴く観点が様々ですが
まず一次予選は音楽をする基本的な能力(特に耳)が備わっているかどうか。
次に私はミスや完成度よりもその本人が音楽とどのようなかかわり方、
どんな感じ方をしているかに興味を持ってしまいます。
本番演奏のできばえ以上に演奏から感じる人間を見たくなるのです。
人と会話している時に相手がどういう感じの人か自然にわかるのと同じ感覚です。
たったの20分しか聴けないので、その短時間に演奏者自身がどんな人か
を一生懸命聴きます。もちろん、見間違える時もありますけれど。

子供達の場合はどれだけ頑張ったかという頑張り度で点数をつけたりしますが
プロでピアノに進まれようと思っている方には頑張り度などの次元ではなくもっと
深い本質的なもの、極端な話、本気でピアノを続けられる能力を持っているか、
そして本当に音楽を愛して弾いているかどうかが決め手になると思います。

ときどき、『ここまでやってきたのだから諦められない。他にすることがない。
コンクールがないと勉強しない。挙句は学校の勉強ができないから。』と
訳のわからない理由で続けているようなことを言っている学生さんを見かけます。
もう一度、なぜ自分はピアノを弾いているか、を考えてみるのはどうでしょうか。

ピアノのない生活を想像してみましょう。
そんな生活は想像できないわ、と思われる方は是非ピアノとともに生きてください。
きっと人にはわからないけど楽しい人生になるでしょうから。

逆にピアノのない生活が楽だろうなと思われる方は考えた方がよいのかもしれません。
(注意!これは特級を受けられるくらいまで頑張ってこられた方に対してであって
子供たちではありません。
子供は放っておくとどんどん楽な方に行ってしまいます。私もだけど^^;)

一つのものを追求すると困難と喜びは紙一重になっていきます。
困難に苦痛が伴うのであればそれはよくありません。
たった一瞬の喜びを感じるために日々こだわって勉強できるひとは
誰がなんといっても続けるべきですし、もしふとした小さい喜びを見つけられたら
その人はとても幸せな人間なのでしょう。
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by studioacanthus | 2006-07-17 22:41 | コンクール
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